金光教案内
取次(とりつぎ)について
金光教のご信心は取次に始まり、取次を中心とした道です。取次絶対尊信の道なのです。ですからお届けをすすんでなされることが何よりも大切です。
金光教の信奉者として取次を頂く上で大切な心得ですので、以下のことをしっかりと心懸けておかげを頂いて下さい。
- お参りなされる教会の先生を金光様と仰ぎ、生神金光大神様と拝んでいるご信者はおかげを必ず受けておりますし、そのような教会は必ず栄えています。
- 取次者もあくまで一人間ですから至らないところはもちろんありますが、欠点をあげて、取次者を軽く見るようなことではおかげは到底受けられません。
- たとえ、取次者が頑固な場合でも、教祖が金神に仕えたような辛抱強い真心で仕えれば、その辛抱がさらにご自身の身に徳となりおかげとなります。
- 取次者が年下の場合でも、教会師弟や我が子であっても、取次の座に着いていられる時は、改まった心で、生神金光大神に向かう心でお取次を頂くことが大切です。
- 取次者の口から出る言葉は神がその言葉のようにお繰り合わせ下さるので、自分の物差しで見ることなく、一々あらをさがすようなことをしたり疑う必要もなく、たとえ欠点があってもそれは神がなおすので、信者から教える必要はありません。
- 長年信心しているからといって年齢が上であっても、取次者と信者は常に一線を画して、取次者の上になるような姿勢にならぬ事が大切です。取次者を見下すような礼を失してはおかげにはなりません。
- また、たとえ教会に参拝して取次者が坐っておられぬ様な時でも、生神金光大神がそこにおられると信じて向かえば、生神金光大神のおかげが必ず受けられます。
- お取次を離れて金光教はありません。お取次によって神の徳が現れるのですから、本教の信者は神と教会と取次者を一つにして仕えることによっておかげが受けられます。
- 神を拝むが、取次者を粗末にしたり自分の教会のことに無関心であっては真のおかげにはなりません。
- 頂かれた言葉が自分にとってハードルが高かったり、厳しくても、神から与えられた試練として、なおまごころを尽くすと、おかげは神から必ず与えられます。