金光教案内
江戸時代の幕末、安政6年10月21日(1859.11.15)に教祖である金光大神(こんこうだいじん)[旧赤沢文治]が天地金乃神(てんちかねのかみ)のお頼みを受け、 家業(農業)をやめ、常時神前に奉仕して、参拝者のあらゆる願いを神に祈り、神の願いを参って来た人に伝えて、人の助かる働きをあらわすようになったこと に始まります。
その時の伝えを立教神伝とよんでいます。
立教神伝
「この幣切り境に肥灰(農業)さしとめるから、その分に承知してくれ。外家業はいたし、農業へ出、人が願い出、呼びに来、もどり。願いがすみ、また農へ出、 またも呼びに来。農業する間もなし、来た人も待ち、両方のさしつかえに相成り。なんと家業やめてくれんか。其方四十二歳の年には、病気で医師も手を放し、 心配いたし、神仏願い、おかげで全快いたし。その時死んだと思うて欲を放して、天地金乃神を助けてくれ。家内も後家になったと思うてくれ。後家よりまし、 もの言われ相談もなり。子供連れてぼとぼと農業しおってくれ。此方のように実意丁寧神信心いたしおる氏子が、世間になんぼうも難儀な氏子あり、取次ぎ助け てやってくれ。神も助かり、氏子も立ち行き。氏子あっての神、神あっての氏子、末々繁盛いたし、親にかかり子にかかり、あいよかけよで立ち行き」
天地の間に生かされている人間は、その天地の道理を知らず、迷信、俗信、また我が儘、勝手をして無礼を働き、さらには前々の巡り合わせで難儀しているので取り次ぎ助けてやってくれとの神からのおぼしめしのままに、信心しておかげを受け、神のいとし子としての生き方ができるように、また神の願いである全人類の立ち行き、世界真の平和達成成就という神願成就のお役に立たたしてもらうように信心生活を進めることで神も人も共に助かる世界を実現していくことをめざしています。このことは明治6年10月10日[旧暦8月19日]の御神伝がもととなっています。
御神伝
「天地金乃神(てんちかねのかみ)と申すことは、天地の間におっておかげを知らず、神仏の宮寺社、氏子の屋敷家宅建て、みな金神(こんじん)の地所、その わけ知らず、方角日柄ばかり見て無礼いたし、前々の巡り合わせで難を受け。氏子の信心でおかげ受け。今般、天地乃神(てんちのかみ)より生神金光大神(い きがみこんこうだいじん)を差し向け、願う氏子におかげを授け、理解申し聞かせ、末々の繁盛いたすこと、氏子あっての神、神あっての氏子、上下立つように いたし候(そうろう)」